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  1. プロフィール

プロフィール

弟と(昭和13年撮影)

1933年
10月27日、東京葛飾区柴又に生まれる。本名・清野平太郎。父 茂は経理担当の会社員。
1938年
弟 浩二生まれる
1940年
父 茂死去。小学一年生
1942年
母の実家、石川県能登に疎開。
1945年
小学校5年 終戦前に東京に戻る。
1946年
都立第三中学(現・都立両国高校)入学。野球部に所属する。
1952年
都立高校卒業。紙問屋の店員、板前見習、バーテンダー、バーの経営(縁のあった店は「ISAMU」「馬酔木」「とと」「神田茶屋」「芝くらぶ」……)など、三十近い職業を経験した後、広告代理店に勤務。
1962年
広告代理店時代、「収穫」で第2回SFコンテストに入賞する。
1963年
日本SF作家クラブ発足とともに事務局長に就任。「収穫」を『SFマガジン』三月号に発表。
1964年
「信じなかった男」を『宇宙塵』十二月号に発表。
1967年
「幽霊タレント」を『SFマガジン』八月号に発表。
1969年
久恵夫人と結婚。
1970年
「赤い酒場を訪れたまえ」を『SFマガジン』二月号に発表。この頃から本格的な作家活動を開始する。
1971年
「お米平吉時穴道行」を『SFマガジン』二月号に発表、同題で最初の単行本(短編集)を早川書房より刊行。「わがふるさとは黄泉の国」(『SFマガジン』十一月号)。最初の長編『石の血脈』を早川書房より刊行。
1972年
長編「産霊山秘録」を『SFマガジン』四月号より連載開始。
1973年
『産霊山秘録』(早川書房)で泉鏡花賞受賞。「妖星伝」を『小説CLUB』九月号より連載開始。『英雄伝説』(祥伝社)刊行。
1974年
「簞笥」を『幻想と怪奇』六月号に発表。『わがふるさとは黄泉の国』(早川書房。「戦国自衛隊」収録)刊行。
1975年
『雨やどり』(河出書房新社)で直木賞受賞。事務所・半文居を世田谷上町に開設。
1977年
『どぶどろ』(新潮社)、『戸隠伝説』(講談社)刊行。
1978年
母・房子逝去。『面白半分』の編集長を七月号から十二月号まで務める。
1979年
「戦国自衛隊」映画化。
1980年
未完の大作SF「太陽の世界」(1 聖双生児)を『野生時代』一月号に発表。
1984年
北海道・苫小牧に引っ越す。『どさんこ大将』(集英社)刊行。
1987年
東京(浅草)に戻る。
1988年
『岬一郎の抵抗』(毎日新聞)で日本SF大賞受賞。『小説・浅草案内』(新潮社)刊行。半文居、機能を停止。
1993年
『かかし長屋』(読売新聞社)で柴田錬三郎賞受賞。
1995年
『講談・大久保長安』(光文社)刊行。
1999年
栃木県鹿沼市へ移る。
2001年
『すべて辛抱』(毎日新聞社)刊行。前橋から調布の家族の元へ戻る。
2002年
『獄門首』(光文社)刊行。3月4日、肺炎のため都内の病院で逝去。

年譜は2007年4月に河出書房新社から刊行されたムック「総特集 半村良 SF伝奇ロマンそして……」の巻末に収録されたものから転載させていただいた。

このなかで1952年からの約十年間が、「……など、約三十近い職業を経験した後、広告代理店に勤める。」とある。この「……など」について、参考になりそうなのが1985年集英社から刊行された『わすれ傘』という短編集に収録された「秋子の写真」と「よく会う女」という作品だ。「秋子の写真」からいくつか抜き出してみる。

旧制中学に入学し、学制の変更で新制高校となった両国高校で高校生生活を送るところから物語は始まる。(太字が抜粋部分)

煙草は吸う酒は飲むといった、手のつけられない高校生だった。もっとはっきり言えば、吉原で女の味を覚え、高校生のくせに洲崎へ出入りするまでになっていたのである。
その小遣いの出所は、銀座でのアルバイトだった。その頃の銀座はアメリカ兵の街で、私は進駐軍相手のバーのカウンターの中に入って黒い蝶ネクタイなどしめ、いっぱしのバーテンづらをしていたのだ。

卒業して日本橋の紙問屋へ就職するものの将来を考えると「この仕事では駄目だ」と見切りをつけ半年で退社し、あらためて水商売の世界に入っていく。

その後母親が蒲田で旅館をはじめるのだが、そこに長逗留し、勤めに通う女がいた。

その女が秋子だった。
二カ月、三カ月とたつにつれ、秋子は旅館の朝の掃除を手伝い、私たちと一緒に食事をするまでになった。
「お前のお嫁さんはああいう人がいいね」
冗談ではなく母がそんなことを言い、私は明代の時と同じように、その言葉にけしかけられた。

旅館を売って出直しをするために新宿で夜の街の様子を探ろうとする。そのあたりから新宿の多くの店の名前が出始める。「馬酔木」「まえだ」「まつ」「とと」。ことに半村さんがバーテンとして関わった「とと」は文壇バーの様相を呈したとある。

まあ、来るわ来るわ。富田常雄さん、山手輝一郎さんといった大御所から吉行淳之介さんや安岡章太郎さんが颯爽と入ってくる。水上勉さんに柴田錬三郎さん、源氏鶏太さん、そして十返肇さん、山本容郎さん……。

新婚(注・秋子とは別の女性との結婚)の私は神田神保町の〈神田茶屋〉をまかされて、…… その店がまた当たってしまって、集英社の若手編集者の溜り場のようなことになり、その上に関取の大鵬は来るわ巨人の王選手は来るわで……。

生まれてはじめて書いた百枚の小説を早川書房のSFマガジンへ郵送すると、その足で広告代理店の入社試験を受けに行った。

ここから十年ほどの半村さんのサラリーマン人生があるのだが、「三十近い職業を」転々とし、といくつかのプロフィールにあるもののその実は、「新宿銀座をはじめ三十近い店に関わり」という表現が正しいのかもしれない。いずれにせよ、この時期、半村さんは奔放に夜の巷を泳ぎ回っていたことは確かで、その時代の経験が、さまざまな作品に生かされることになる。

戦国自衛隊/G.I.SAMURAI

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