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「馬酔木」に辿り着く ―半村良を旅する(4)
小説家・半村良が「半村良」になりつつある頃のプロフィールには、「三十近い職業を経験」とあり、その中には新宿などでバーテンをしていたことが含まれている。「馬酔木(あしび)」の名は、その一つとして現れるだけでなく、半村作品にも登場するバーだ。なんとなく気になり、しかし、たいして期待もせずにネット検索をしてみたら、それらしき店の情報に出くわしてしまった。「なんとなく」が「本気」に変わり、清水義範さんなどにも問い合わせてみたが、本当にこの店なのかハッキリしない。間違いだったら失礼を詫びるだけだと考え、電話を掛けた。「はい、半村さんが働いていたのはウチの店です」。アタリだ。出掛けてみないわけにはいかないではないか。
バー「馬酔木」は新宿三丁目にあり、寄席「末廣亭」の北東側ブロックに位置している。馬酔木のオーナーK氏が「作家デビュー後の半村さんは末廣亭から若手の噺家を連れて遊びにみえたりしました」と教えてくれた。1973年の半村作品『英雄伝説』を読むと、主人公の広告マンが知り合いの若手噺家を訪ねて「新宿の寄席」に向かう描写があり、それはどう考えても末廣亭だと察しは付いたし、そもそも半村良プロフィールに「広告代理店勤務時代」があるのだから、実体験を背景とした描写に違いないとも思っていた。けれども、その末廣亭の目と鼻の先に馬酔木が健在だったのは気付かなかった。迂闊もいいところだ。
馬酔木でK氏から頂いた店のマッチは「半村良デザイン」だった。箱のオモテ側は「まだシラフで字も読める」が、ウラ側は「酔って字なんか読めない」をデザインコンセプトにしたとかで、さもないことではあるけれど、小説家・半村良は、広告マンとしても随分と才能ある人だったことが判る。店のコースターも同じデザインだ。2005年に亡くなった店のママの一周忌を記念して自費出版された『ママと「馬酔木」』を見ると、店の常連客としての小説家・半村良は、店のロゴマーク作成や挨拶状の文案作成などに広告マン・半村良としても姿を現している。色指定や書体指定をきちんと書き込んでいるあたりは、プロである。いや、本当にプロだったわけで、「余技の手すさび」などではない。
「半村良とは何者だったのか」と好奇心を抱き、旧い資料を漁ったり、縁のある人々に話を訊いて回ったりする中で馬酔木に辿り着き、オーナーのK氏からは貴重な情報を随分と頂いた。けれども、「半村良とは何者か」については、依然として藪の中だ。いろいろと突っつき回すほどに見えてくるのは「韜晦の人・半村良」で、誰にも正体を掴まれないように行く先々で「嘘」を仕掛けて残したとしか思えない。本人が自身の職業を「嘘屋」と称していたのは、「小説家」と名乗ることへの含羞から出たコトバだと思っていたが、どうやら生き様そのものが「嘘屋」である。『闇の中の系図』などに登場する天性の嘘つき集団「嘘部」が当の作家本人を示す可能性はいよいよ高い。「嘘部の末裔・半村良」の張り巡らした嘘を破る自信のある方も無い方も、ぜひとも一度「馬酔木」へ。
「相手の欲求を利用して都合のいい方へ思い込ませるのは、嘘の基本的なテクニックのひとつだ」《闇の中の系図》
清水義範の「半村良クロニクル」
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