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「岬一郎の抵抗」 ―半村良を旅する(2)
以前その通りには都電が走っていた。だが、道路の両側に並んだ商店の人々さえ、そんなことは忘れかけている
という書き出しで始まる「岬一郎の抵抗」は、下町に暮らす平凡なサラリーマン、岬一郎が主人公だ。しかし岬一郎には不思議な力が備わっていた。実はエスパーだったのだ。
そして、物語は続く。
バスを降りたその男は、郵便局の角を曲がって、小さな事務所や商店などが住宅と入りまじって建ちならぶ、細い道へ入っていった
この一帯で犬や猫が不審な死に方をしたりすることから、何らかの公害ではないかと住民たちは心配になる。
江東区松川三丁目、その道をまっすぐ行くと、都立深川工業高校の正門に突き当たる
次第にエスパーとしての力を発揮しはじめる岬一郎は、病に苦しむ人たちを助けはじめ、マスコミにも注目される。折しも起こったメキシコの大地震にはテレビ局の依頼で出かけ、けが人救出にその力を発揮する。
しかし、その力が強大になればなるほど、逆に権力者たちは利用を目論む。町内の住民たちの応援でなんとか病人の治療など、無償の精神で岬一郎は活動を続ける。日本のみならず世界的に注目されるにしがたい、さまざまな権力が介入をはじめる。そして理解者の一人である元雑誌編集者の野口志郎とともに追いつめられていく。
1988年に日本SF大賞を受賞した作品だ。テーマといい、描写といい、時代を感じさせない傑作といえる長編小説だ。
さて、この物語の舞台となる「江東区松川三丁目」は実在しない。しかし読み進むうちに場所が特定できる。小説の最後に近い部分では岬一郎を警備すると称して、包囲する機動隊員が配備され、その地域が示される。
その範囲は、新大橋通り、三ツ目通り、小名木川、大横川に囲まれた、ほぼ正方形の地域だった
この地域は半村さんの母校「両国高校」から徒歩で10分ほどのところで、地名は「松川」ならぬ「菊川」で、土地勘は十二分にあったと思われる。新大橋通りをはさんで、菊川三丁目で、小名木川添いは森下五丁目となる。
私は、岬一郎が物語の冒頭で歩いたとおりの道をたどってみた。地下鉄都営新宿線「菊川駅」で下車した。新大橋通りの郵便局〈墨田菊川局〉は実在し、角を入ってまっすぐ行くと墨田工業高校(物語では深川工業高校)に突き当たる。その途中にはまだ昭和を思わせるような路地が存在する。小さな工場、住宅、そして飲み屋もある。それから三ツ目通りに出て工業高校を廻って、裏手の小名木川沿いに歩く。
しばらく行くと大横川と交わる。左に曲がり、ふと目を上げるとその先には「東京スカイツリー」が。大きなビルに遮られることもなく、すくっと伸びている。川沿いの遊歩道には桜の並木がある。この眺めは小説が書かれた頃にはまったく想像できないものだ。
小名木川、大横川など、江戸時代から昭和初期には水運をになった川だという。今でも船が行き交ったり、係留されている。昭和のみならず江戸時代にまで思いを馳せることができる場所だ。江戸時代に開鑿されたという川の名前の由来や歴史を示す案内もある。
そういえば、隣の駅の森下には時折行っていた。好きな蕎麦屋やどじょう屋があり、まだ暮れない夏の夕方の早い時間から、焼き海苔やどぜう鍋を肴に日本酒を楽しむという不謹慎なことをやっていた。ちょっと足を伸ばし深川や門前仲町あたりを散策するのもいい。
清水義範の「半村良クロニクル」
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